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東武バス、千葉のバスに関する話題を中心に 管理人の別趣味のお話等を書かせて頂きます。
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上州三山に数えられる「赤城山」地蔵岳展望台へのアプローチ
「赤城山ロープウェイ(※1998(平成10)年休止後廃止)」の
赤城大洞乗場とJR前橋駅を結ぶ路線バスでして、現在も関越交通が
赤城大洞の少し先にあるビジターセンターまで運行しています。

元々は1927(昭和2)年頃から個人事業者により延長を重ねて開設
された路線ですが、これを東武鉄道バス事業本部の前身である
「毛武自動車」が1935(昭和10)年に買収、1936(昭和11)年に
毛武自動車が「東武自動車」に社名を変更し、東武バスの路線に
なった経緯があります。
途中に枝系統も存在しており、本線の赤城山大洞に向かう路線は季節
運行、枝線は通年運行と観光、生活の両路線的性格を持つ路線でした。


畜産試験場折返便と青年の家折返便。
左:社7816号車、右:社7976号車 前橋駅前にて。

終点の停留所正式名は「赤城山大洞」。
(バスの行先表示は赤城大洞)
1976(昭和51)年までは、前橋営業所大洞出張所も開設されていた
事があります。


前橋駅前で待機する赤城大洞行の社9183号車。

前述の「赤城山ロープウェイ」も末期は系列の「東武興業」が経営して
おり東武鉄道による赤城山観光開発の名残でもあった感じです。


赤城大洞を出発して前橋へ向かう社9183号車。

画像に写るロープウエイ乗り場は現在更地になり、当時の面影は皆無です。
東武鉄道が手掛けた赤城山開発の歴史もだんだん薄れてきており、面影を
探す事も難しくなって行く事でしょう。
東武鉄道による赤城山開発の話はものすごく長くなりますので、またの
機会と言う事で(笑)

赤城山大洞の停留所は現存しており、行く事は可能です。
上画像のバス車両の横にある駐車場のゲートバーを目印にすると場所が
解るかと思います。


関越交通へ系統移管される旨の告知。

東武バスがこの路線から撤退したのは平成10年の3月一杯で、東武バス
の群馬北部地域撤退前年の出来事でした。

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現在でも総武流山線が発着する流山駅。
東口には今でも西柏営業所管轄の路線が発着していますが、以前は西口にも
東武バスの路線が来ていました。
総武流山線の流山駅前にはバスが入れない事もあり、少し離れた場所から発車
する為、停留所名も「流山駅前」になってました。

古くは常磐線の松戸駅から、流山、江戸川台、野田市駅と言う京成バスとの
共同運行路線だった時代もありましたが1975年(昭和50年)に系統分割が
実施されました。
この結果、松戸駅から流山駅を経由して江戸川台駅までの路線を京成バスが
運行し、東武は流山駅から野田市駅への路線をそれぞれ単独で運行する事に
なります。

東武路線の方は年を追う毎に利用者が減った事と流山街道の渋滞がネックに
なり、2001年(平成13年)の西柏営業所野田出張所の茨城急行バス移管が
決まった時点では、わずか2回までに減回されていたがそのまま茨城急行へ
移管されました。
しかし、移管後は平日のみの運行に改められ、翌2002年(平成14年)には
路線廃止されてしまいます。


流山駅前で発車を待つ野田市駅行。

非常に狭い道路上での折返しでして、画像のように折返し便が待機中は一般車が
横を通るのもひと苦労な状態でした。
現在は京成バスが流山街道を直進して、この付近を通り過ぎる形で運行されて
いますが、以前は京成バスも「流山広小路」で折返す便があり往年の共同運行を
していた面影が残っていました。
流山駅のバス停付近にはダルマポールが置かれていた割には道路上にも関わらず
点字ブロックまで敷かれており、利用客もまばらではあったものの固定客により
支えられていた感じがします。


起点の野田市駅に隣接する野田出張所に待機するこの日の流山
行に充当される社2208号車と野田出張所管轄の運行路線図。
(バス停掲示簡易型)

運転時刻(野田市駅発)
東武時代の1999年(平成11年)で野田市発が8時17分、13時22分の2本。
茨城急行移管後の2002年1月(平成14年)で野田市駅発が9時25分、
13時15分の2本でした。

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第一陣で日光へ投入されたセレガは全部で19両。
その他に数台のR3型架装のP-LV719Rや、P-RU607BBなどが最後の活躍をしていた。


当時、日光の最古参だった車両達。

山岳路線で登坂の多い路線環境、しかも積雪が当然ながらついて回る。
冬季でもいろは坂を上下する為、塩化カルシュームも敵となりシャーシを襲う。
老朽化も早く、古参車は引退してゆくのでした。
そんな中、置換の対象車が日光へやって来ます。
前節でお話した深夜急行の置換と高速江戸川台線の廃止に伴い、4台のマキシオン
が転属してきます。


再び日光へ舞い戻った社2125号車。

西柏から回着後、日光仕様に改装が終わりナンバー変更
を待つ社2165号車、社2169号車も転属してきている。


足立で深夜急行に使用されていた社2170号車も日光へ転属。
同僚だった当時唯一のHD−2を架装した社2158号車も貸切車
登録で転属している。

4両のマキシオンが次々と充当され、日光の顔だったR3型を置き換えて
行きました。

廃車となったR3達。

その後、深夜急行用にQ尺のエルガワンロマ車が大宮、西柏、足立に配置
されると、しばらく遅れてもう1台のセレガが転属してきます。
社9210号車で、ミッドナイトアロー川越の元専用車です。


91年車としては最後に日光へやってきた社9210号車。
車両後部にミッドナイトアローのサボ受を残していた。

この結果、P−LV719Rは90年型の社2059号車、社2065号車の2台と
同じP−RU607BBの1台、計3台を残すのみとなった。


最後は予備車扱いだった90年車達。
中でも社9204号車は東武では唯一のRU-607BBで(東武の選択は、
P-RU608BBが当時標準だった。)貴重な存在だった。
埼玉の上尾営業所に新製配置されて貸切車として活躍した経緯を持つ。
同時期に東武が選択したLV-719Rの軸距が6150mmに対してRU607は
軸距が6100mmとわずかに短尺で、いろは坂の登坂を考えて試験的に
導入したものと言われている。
後に導入されたセレガFSは軸距が6480mmあり、結局のところ選択の
詳細はわからないままでした。

時間を少し置き、今度は貸切車の置換が首都圏で始まります。
置換対象の貸切車は15両。
そのうち殆どのSHD車は引退してゆく事になります。

足立営業所では、貸切用としてU-LV771Rが4台で内1台はSHD。
後は深夜急行用が1台で合計5台。
西柏営業所では、貸切用としてU-LV771Rが4台で内1台はSHD。
後は深夜急行用のセレガFSが1台の合計5台。


東武最後の7S架装貸切車になった足立営業所の社2294号車と
西柏営業所の社2295号車。
共に東武内での再就職は果たせず除籍売却されてしまった。

 
日光転籍が決まったマキシオン。
西柏で整備中の社2301号車と足立で高速いわき号の続行便として
スタンバイする社2302号車。

一方、大宮営業所でも整理は進んでいる状況でした。
こちらは貸切用としてセレガGDが2台とセレガFSが2台。
それと深夜急行用のセレガFSが1台の合計5台。


大宮で待機するSHD、セレガGDと貸切輸送へ出発するセレガFS。
大宮のSHDは暫く延命する事になり、2台のうち社9366号車は日光
営業所へ貸切車として転属、既存の社2158号車を置換る事になった。


除籍された社2158号車。

平成18年3月には首都圏からの深夜急行、貸切車での置換が完了。
東武鉄道バス事業本部生え抜きの車両による日光への転属劇は終了した。

 
行先表示機がデジタル化された車も出現、また最後に貸切から落とされた
車両は扉がスイングドアのままで投入された。


元大宮の社9369号車や西柏で活躍していた社9373号車も日光
へ転属して路線バスへ投入されていった。

この後、高速路線車の転属が暫く続くものの国際観光地日光での運行に
バリアフリーは必要との観点から、数十年ぶりに日光営業所への新製車が
現れています。


日光にも姿を現したQ尺のエルガ。

またこの頃になるとセレガにも廃車が発生し始めます。

90年車と共にトップを切って廃車となった社9207号車。

日光で活躍する車は基本的に経年車が多いのですが、元貸切車と言う
生まれが違う車の集まりでした。
現行の高速路線車には無いゆったりしたシートや静かな車内。
日光へ行けばその乗り心地を味わえましたが、その車達もどんどん引退
していきました。
今後は少し味気ない首都圏と同じ顔の路線車に置き換わってゆく事でしょう。
時代の流れと言うものはこういうものなんでしょうね。


最後になりましたが、当時の東武バス日光の職員の皆様、営業所長様には
大変お世話になりました。
今後も日光発展の為、東武バス日光様のご活躍をお祈り致します。


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東武生え抜きの貸切車が15両体制で活躍する一方、用途外登録の
格下車が激しい動きを見せていたのもこの時期だったと思います。

当時のバス業界では、終電後の帰宅の足としてタクシーより安く
ベットタウンまで都心から直結を唄った「ミッドナイトアロー」が
大躍進していました。
東武鉄道バス事業本部でも、平成元年12月19日に池袋駅西口から
東上線沿線を経由して川越地区へ向かう「ミッドナイトアロー川越」
の運行を始めます。
利用者から好評を得たの期に平成2年3月1日からは有楽町マリオン前
から柏地区への「ミッドナイトアロー柏」を運行開始。
後の9月3日からは上野駅から春日部地区への「ミッドナイトアロー
春日部」の運行を開始しました。

運行開始直後は旧型貸切車を捻出し、改造の上運行しましたが時期が
貸切減車の開始時期にあたり、比較的新しい1992年新製の貸切車両を
格下の上で置換を行いました。
この時に数台の車両が深夜急行専用車として充当されています。


ミッドナイトアロー春日部を担当した
足立営業所の社2170号車。
この他に社2165号車が在籍している。


ミッドナイトアロー川越を担当した
大宮営業所の社9210号車。


ミッドナイトアロー柏を担当した
西柏営業所の社2169号車。

平成13年(2001年)になると常磐道高速バスの新顔として、東武野田線
の江戸川台駅から柏の葉を経由し柏インターから高速道路経由で上野駅・
東京駅へ向かう路線が開設され、JRバス関東と東武バスの参入が発表された。


高速江戸川台線開業時のパンフレット。

この時、私は「車両はどうするのかな?」と言うのが一番最初に考えた
事でした。
この当時は車両の新製は極力控えていたのでそれは無いと考えれば後は
貸切車を落とすか、グループ転籍を考えるのが妥当。
しかし、東武本体へグループからの転籍は殆ど例がなく必然的に貸切落とし
が答えとなる。
しかし、実際は深夜急行車にポイントがあったのでした。

高速江戸川台線の車両として捻出されたのは2台。
配置は西柏営業所となった。
まず、栃木県の日光営業所鬼怒川出張所に配置されていた社2125号車に
白羽の矢が立つ事になる。


日光地区で当時唯一のマキシオンだった社2125号車。
日光営業所鬼怒川出張所にて。

このマキシオン捻出の為に日光営業所からセレガFSが1台鬼怒川へ転属
している(社9216号車 U-RU2FTAB)。


日光営業所に移動して廃車車両置場へ留置された社2125号車。
日光営業所にて。

この時は1991年車と言う事もあり、除籍だな・・・と踏んでいたのですが、
まさかの大転身。
そしてもう1台は足立営業所の社2165号車選定されました。
社2165号車は同僚の社2170号車とともに「深夜急行」や「はとバス」との
共同運行である「東京〜日光定期観光線」などに充当されていました。
この2台に元々西柏にいた社2169号車を合わせた3台で「ミッドナイトアロー
柏」と「高速江戸川台線」を回す事になるのです。


ひと足先に高速路線車改造を終えた元足立の社2165号車と
西柏生え抜きの社2169号車の待機風景。
西柏営業所にて。


社2125号車も高速路線車整備を終えて鬼怒川から西柏への転属を果たした。
西柏営業所にて

この転配で、足立営業所では社2296号車が貸切から落とされました。

足立営業所で待機する社2296号車。

江戸川台線はおもいのほか好調で、日を追うごとに利用者が増えて行きました。
東京大学が柏の葉キャンパスを開設した事がかなり大きかったようです。

江戸川台駅で発車待ちの東京行と東京駅日本橋口に滑り込んだ
元足立営業所の社2165号車。

そして迎えた平成14年10月には東武鉄道バス事業本部が分社されて
「東武バス」が誕生することになります。
江戸川台線はこの後、平成15年(2003年)3月には2回増回で14往復
になって最大本数を記録。
新生「東武バス」の地域会社「東武バスイースト」のエリア内となった
西柏管内では最初の高速路線用新製車が登場します。


社9680号車 2003年車で先行投入されたセレガR FS。
(KL-RU4FSEA)
西柏営業所にて

その後、同年の6月にはやはり西柏営業所担当で柏地区〜羽田空港へ
のリムジンバスが京浜急行バスと共同運行を開始します。
この時に5台のセレガRが増備(社9695号車〜社9699号車)され
運行を開始します。



平成17年(2005年)に入ると、開業後に並行する首都圏新都市鉄道
(つくばエクスプレス)の開業を見据えた減便に移行してしまう。
同年4月には11回に減回、8月にはつくばエクスプレスが開業して東武鉄道
バス事業本部でも足立、葛飾営業所管内と西柏、三郷管内で大改変を実施。
江戸川台線も残ったが、惜しくも平成18年(2006年)2月を以て廃止された。


セレガRの増備で予備扱いになっていたマキシオン達。
日中も営業所で休んでいる事が多くなっていた。
西柏営業所にて

深夜急行での活路が残っていたマキシオン達でしたが、この時に西柏営業所
の貸切車で唯一の存在だったセレガFS(社9373号車)が貸切から落とされ
路線車改造を受けて深夜急行や羽田リムジンに入り始めました。


路線改造を受けて格下げされた社9373号車の画像。
西柏営業所にて

1994年車の社9373号車が落とされた時点で西柏の路線用マキシオンは
余剰車となり、新天地「日光」へ転属してゆく事になります。

つづく。

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東武バスの営業エリアの中でも一番有名な観光地、日光地区では新製当初に
貸切車としてデビューした車が集められ、路線車に格下げされて使用される
パターンが数年来続いていました。(以降、格下を落とすと表現します。)
バリアフリー法の絡みから、最近では路線タイプが導入されていますが、
貸切減車と言う冬の時代を生き抜いて、早い時期に貸切車としての使命を
終えて路線改造がなされた一大グループと言えば、やはり日野のセレガ
(U-RU2FTAB)といすゞのスーパークルーザーシャーシに富士重工の7HD
車体を架装したマキシオン(U-LV771R)ではないでしょうか。
 

セレガFSとマキシオンの並び。
日光営業所にて

東武鉄道の貸切バスと言えば、平成元年に全国の貸切車部門で売り上げが
日本一になるという快挙が達成されたほどの勢いでしたが、以降は売上も
下降の方向へ進み、平成2年時点で「320両」を所有した貸切車も減車へ傾く。

平成10年のバス部門分社直前に於いては全部で15両まで減車されてしまった。
 
左:グループ会社の「東野交通」に転籍したマキシオン。
中:グループ会社の「キング観光」に転籍したFHI 7S架装のLV。
右:東北急行も当時は貸切免許を持っており、東武から転籍車を受け入れていた。

車両によっては売却されて日本全国へ買い取られ、約半数の除籍車は
東武グループ各社へ転籍して行きました。
そして、一部の車両が路線車として使用される為に日光営業所へ転配された。
日光地区では、以前から前乗り前降りのトップドア車が活躍していたのと、
山岳路線で高出力なエンジンを持つ貸切車が転用されてきた経緯があります。
セレガ、マキシオンの類でも路線車に転用できる訳です。


昔日光で使用されていたトップドア路線車、日野RE100
(画像提供:真砂町車庫殿)

日光へ転配されたセレガは、路線改造として車内リクライニングの固定化
(後に中止)、運転席直後に仕切増設、カーテン類の撤去、座席後部の
テレビモニター撤去、正面社名行灯の行先表示器化、乗車口扉の折戸化、
車両正面に拡大社番を貼付等が実施された。
(正面の拡大社番表示は無線操車が廃止されて以降は中止されているが、
当初貸切兼用車両は元から省略されていた。)


日光営業所転属にあたり、足利自修で格下改造を受ける
社2302号車。
足利自修 福居工場にて

各車両の改造は栃木県の足利自修福居工場、埼玉県の三進自動車にて
実施されており、転属時に改造の上日光へ配属されている。

車両は1991年から1992年製造のグループが充当され、当時日光営業所の
顔だった富士重工R3車体を架装したいすゞ車でしたが、やはり老朽化の問題から
置換の必要に迫られており、車両入替が図られました。

左:東武日光線の集約臨「林間学校」号を待受ける9台口のR3軍団。
中:日光に新規配属された社9219号車と当時最古参グループの社6767号車。
右:当時は現在の倍以上車両を有した日光では殆どの車が東武らしいR3型。

これらの老朽車を置換える為に受け入れた車両は、1999年に実施された
「群馬地区撤退、前橋営業所閉鎖」で余剰となった貸切車を格下して
社9265号車、社9270号車、社9271号車の3両を日光へ投入しました。


群馬運輸事務所廃止に伴う前橋営業所閉所で日光へ転属してきた3台のセレガ。
左から社9265号車、社9270号車、社9271号車、共に1992年製造の貸切車。

この転配により当時の最古参R3型を老朽取替して、セレガへの置き換えに
一段落をつけました。


この時除籍された古参車の1台である社6831号車、R3車体架装車ながら
行先表示機が正面のおでこ部位に外付されていたP-LV219S。
北関東ではどこのバス会社でもおなじみの形態でした。


一方で日光へ集結を始めた91年、92年導入のセレガ達は最大の特徴として
側窓がメトロ窓と言う点がある。
前扉をスイングドアから折戸に改造した時に若干ではあるが形態が異なる
車両が出現した事も趣味的には興味深いところかと。


このタイプの前扉が基本だった。
ドア上部に側窓周りの黒色が扉まで伸びるタイプ。
また、画像の車は当時貸切・路線兼用登録だった為、正面の拡大社番が無く
ホイルキャップも装着している。
現車の新製配置は群馬県の沼田営業所。
社9266号車 日光駅前モータープールにて。


こちらは扉部分に黒色が入らないタイプ。
数台が存在していた。
現車の新製配置は群馬県の渋川営業所。
社9214号車 日光駅前モータープールにて。


扉が黒一色のタイプ。
初期型セレガの中では、後期に転籍してきた車。
現車の新製配置は埼玉県の川越営業所で、後に
大宮営業所へ転属して深夜急行として活躍していた。
社9210号車 日光駅前モータープールにて。


パターン的には唯一の存在だった車。
先代のR3型の扉を取り付けたタイプで異彩を放つ。
なぜこのような改造になったのかは不明。
現車の新製配置は埼玉県の本庄営業所。
社9209号車 アーデル霧降にて。

さて、路線車がグループカラーに統一される一方で、導入時期的に
更新改造が行われず残ったセレガが定期観光用の車だった。
1993年導入の社9316号車〜社9319号車の4両が転用された。


社9319号車 この車の新製配置は茨城県の下館営業所だった。
鬼怒川出張所にて。

日光定期観光はこの後グループ会社の日光交通へ運行を
移管することになり、車両も運命を共にして東武籍を離れて
しまう事になるのはご存知の通り。

この後、平成10年に15両まで減車された時に貸切車として
生き残った車両と深夜急行などに使用されていた貸切落とし
車両の置換が本格的に始まります。
平成16年にセレガの後継車である「セレガR」のハイデッカー
車が深夜急行と羽田リムジン用に西柏へ配置されたのを皮切りに、
エルガのワンロマ仕様が足立、西柏、大宮の各営業所に登場。

左:深夜急行と羽田リムジンの置換用で登場したセレガR
  社9680号車  西柏営業所にて
右:やはり深夜急行の置換用で登場したBR2ワンロマタイプ。
  社9860号車  大宮営業所にて

貸切車としてもセレガRは2台が新製され大宮と西柏へ
それぞれ配置されました。


西柏へ配置されたセレガRの貸切車、社9739号車と吉野町で回着整備
を受ける社9738号車。

翌17年にはついにフルモデルチェンジの新型セレガが登場して
(セレガ、ガーラの統合型)足立、大宮、西柏の各営業所へ
配置され始めると、東武鉄道生え抜きの貸切車や用途外指定車が
日光営業所へ転属してきました。

つづく。

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男性
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謎の会社員
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さまざまな趣味あり
自己紹介:
東武バスが好きなむさい男であります。
過去の話が多くなるかも知れませんが、お許し下さい。
ハンドルネームは「東武指令」です。
特に意味はありませんが、よろしくお願いします。(笑)
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