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東武バス、千葉のバスに関する話題を中心に 管理人の別趣味のお話等を書かせて頂きます。
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東武バスを追いかけ始めてそろそろ25年近いキャリアになります。
正直自分でもびっくりですが・・・(笑)
東武鉄道に関係する仕事をしていたと言う事もありますが、
鉄道沿線には必ずオレンジ色のバスが止まってると言うイメージがあり
規模の大きな会社なんだと改めて実感したりしてました。
当時は、東武鉄道の直営バス会社として存在していた「東武鉄道バス事業本部」
東京、埼玉、千葉は勿論、群馬、栃木、茨城にもエリアを持っており
都市型の高頻度運行路線から、過疎地域でそれこそ1日1本運行
みたいな路線まで存在するバス会社としてそれぞれの地域に
密着して、生活の足として溶け込んでいました。
しかし、大手私鉄であるが為に鉄道収入で稼げる場合はそれでカバーできる
と言う国の判断から、地方の赤字路線は補助金も自治体協力もほぼ無い。
それでも、長年の利用者が少しでも居れば軽々しく廃止もできない。

路線を維持して、なおかつ補助金を受けたりできる環境を構築するには
バス部門を分社して、合理化を進めるしかない。
組合が大反対する中、東武鉄道はバス部門の分社化と採算見込みが立たない
エリア北部地域の撤退を始めたのでした。
埼玉県の熊谷営業所での車両整備風景。
いすゞのLVに加え森林公園出張所のブルーリボンも整備する。
今と違い整備士さんも東武鉄道の社員さん達が行っていた。

まさにそんな時に東武バスに興味を持ち、様々な地域にカメラ片手に
出かけ始めたのが東武バス趣味を始めたきっかけでした。
当時の主力車両はいすゞがP-LV314L、日野はP-HT235BA。

そして、いすゞではU-LV324L、日野はU-HT2MMAAが導入され勢力を
増やして旧型車を駆逐する真っ最中と言う感じでした。
東武バスの車両として一番の特徴はいすゞ、日野共に「富士重工製」
の車体を架装している車が多いと言う点が挙げられます。
日野車に関しては純正の日野車体が大半でしたが、いすゞに関しては
ほとんど富士重工製の車体を乗せていました。

富士重工 5E車体を架装するP-LV314L。
後期製造の車両は「黒サッシ」と呼ばれ、窓周りが引き締まった
印象があります。

やはり富士重工5E車体を架装するP-HT235BA。
日野指定の営業所には数台存在するケースが多かった印象です。

平成29年に入り続々引退を続け、ついに残り数台となった東武バスの7E型。
厳密に言えば、新7Eと呼ばれる最終型でコトKL-LV280L1改に於いては
東武向けのみ「タイプAノンステ」の架装を例外的に認めたと言う富士重工
との結びつきの強さを感じさせる経緯があった「銀サッシ」。
2003年3月に富士重工がバス車体製造から撤退して、最後に出てきた
銀サッシノンステグループも今年度内に姿を消すでしょう。

沼南に新製配置された銀サッシトップナンバーの社2558号車。
2003年から本格導入された「銀サッシ」だが、2558は先行的に
2002年下期に導入された車でした。

今回は個人的に一番馴染みの深い富士重工の7E、新7E型を語ってみたいと
思います。

〜次編へ続く。

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上越線の沼田駅から国道120号線を約1時間。
群馬屈指の観光地である尾瀬の入口の街「鎌田」に到着します。
鎌田は沼田から来た道が尾瀬、日光へと別れる中継点です。
ここに東武バス「沼田営業所鎌田出張所」が開設されたのは
昭和12年で現在の東武バスの礎となった「東武自動車」が開設。
平成8年3月までは案内所の機能は残っていました。
近年再び運行を始めた関越交通の鎌田〜日光線の先駆けとなった
東武バスの横断特急の中継点、休憩所になった場所でもあります。
私が訪れた当時、案内所の正面には路線図が設置されており日光
へ路線があった事を思わせる名残もあった。

東武撤退〜関越交通移管により、東武バスはこの地から消えて
しまいましたが、関越交通が現在でも拠点を構えており今でも
起終点としての重要性は変わっていないようです。

尾瀬大清水、武尊牧場スキー場、戸倉スキー場から下って来た
バスはここで合流して沼田へ下る。
尾瀬高原のハイシーズンには国鉄・JRの夜行列車からの継承を受け
深夜に大清水へ向けて臨時バスが仕立てられるのも名物だった。
時代が変わりそのような事も行われなくなりましたが、沼田まで
の路線沿線には吹割の滝、老神温泉などの観光地も点在している
事もあり、在来線の沼田駅以外にも上越新幹線の上毛高原駅へも
路線が運行されていた。

現在でも関越交通により運行されている。
冬はスキー、夏は避暑に温泉にと現在でも賑わいを見せる奥利根の
小さな街で活躍した東武バスをご紹介しました。

★群馬沼田地区の東武バスは平成10年3月で廃止され関越交通に移管
されています。

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埼玉県の南河原村への足として、熊谷駅前から運行され
村内の犬塚終点へ向かう東武バスの終点です。


右:熊谷駅前で小休止中の社2087号車と2456号車。
左:熊谷駅を後に犬塚へ向かう社2456号車。

現在でも運行のある路線ですが、平成18年に南河原村は行田市に編入
されました。
また路線自体は平成13年3月一杯で東武バスから国際ハイヤーへ移管
され、後に社名変更を経て現在は国際十王交通が運行している路線です。

また下画像の終点も現在では変更されており、この場所での折返は過去
のものとなっています。
この「熊11系統」は熊谷駅を起点に南河原を経由して犬塚への路線。
かつてはその先へ酒巻、利根大堰、新郷を経由して羽生駅まで
運転されていましたが、短縮されて犬塚までの路線になりました。


犬塚終点の転向場で待機する社2479号車。

東武時代末期はナロー車が充当されるケースが多く、熊谷営業所管内でも
ローカルな路線でした。


熊谷駅前に進入する犬塚行き社2468号車と立正行の2183号車。


国際十王交通による運行へ移管されて現在に至っている。
(国十 社2121号車 熊谷駅にて)

自治体の補助もあるようで、廃止にならず現在も運行されている事は
沿線利用者には嬉しい話だと思いますが、今後の利用状況によっては
切られる可能性もあるローカル路線。
沿線住人の利用なかかってくる問題でもあり今後に注目です。

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上州三山に数えられる「赤城山」地蔵岳展望台へのアプローチ
「赤城山ロープウェイ(※1998(平成10)年休止後廃止)」の
赤城大洞乗場とJR前橋駅を結ぶ路線バスでして、現在も関越交通が
赤城大洞の少し先にあるビジターセンターまで運行しています。

元々は1927(昭和2)年頃から個人事業者により延長を重ねて開設
された路線ですが、これを東武鉄道バス事業本部の前身である
「毛武自動車」が1935(昭和10)年に買収、1936(昭和11)年に
毛武自動車が「東武自動車」に社名を変更し、東武バスの路線に
なった経緯があります。
途中に枝系統も存在しており、本線の赤城山大洞に向かう路線は季節
運行、枝線は通年運行と観光、生活の両路線的性格を持つ路線でした。


畜産試験場折返便と青年の家折返便。
左:社7816号車、右:社7976号車 前橋駅前にて。

終点の停留所正式名は「赤城山大洞」。
(バスの行先表示は赤城大洞)
1976(昭和51)年までは、前橋営業所大洞出張所も開設されていた
事があります。


前橋駅前で待機する赤城大洞行の社9183号車。

前述の「赤城山ロープウェイ」も末期は系列の「東武興業」が経営して
おり東武鉄道による赤城山観光開発の名残でもあった感じです。


赤城大洞を出発して前橋へ向かう社9183号車。

画像に写るロープウエイ乗り場は現在更地になり、当時の面影は皆無です。
東武鉄道が手掛けた赤城山開発の歴史もだんだん薄れてきており、面影を
探す事も難しくなって行く事でしょう。
東武鉄道による赤城山開発の話はものすごく長くなりますので、またの
機会と言う事で(笑)

赤城山大洞の停留所は現存しており、行く事は可能です。
上画像のバス車両の横にある駐車場のゲートバーを目印にすると場所が
解るかと思います。


関越交通へ系統移管される旨の告知。

東武バスがこの路線から撤退したのは平成10年の3月一杯で、東武バス
の群馬北部地域撤退前年の出来事でした。

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現在でも総武流山線が発着する流山駅。
東口には今でも西柏営業所管轄の路線が発着していますが、以前は西口にも
東武バスの路線が来ていました。
総武流山線の流山駅前にはバスが入れない事もあり、少し離れた場所から発車
する為、停留所名も「流山駅前」になってました。

古くは常磐線の松戸駅から、流山、江戸川台、野田市駅と言う京成バスとの
共同運行路線だった時代もありましたが1975年(昭和50年)に系統分割が
実施されました。
この結果、松戸駅から流山駅を経由して江戸川台駅までの路線を京成バスが
運行し、東武は流山駅から野田市駅への路線をそれぞれ単独で運行する事に
なります。

東武路線の方は年を追う毎に利用者が減った事と流山街道の渋滞がネックに
なり、2001年(平成13年)の西柏営業所野田出張所の茨城急行バス移管が
決まった時点では、わずか2回までに減回されていたがそのまま茨城急行へ
移管されました。
しかし、移管後は平日のみの運行に改められ、翌2002年(平成14年)には
路線廃止されてしまいます。


流山駅前で発車を待つ野田市駅行。

非常に狭い道路上での折返しでして、画像のように折返し便が待機中は一般車が
横を通るのもひと苦労な状態でした。
現在は京成バスが流山街道を直進して、この付近を通り過ぎる形で運行されて
いますが、以前は京成バスも「流山広小路」で折返す便があり往年の共同運行を
していた面影が残っていました。
流山駅のバス停付近にはダルマポールが置かれていた割には道路上にも関わらず
点字ブロックまで敷かれており、利用客もまばらではあったものの固定客により
支えられていた感じがします。


起点の野田市駅に隣接する野田出張所に待機するこの日の流山
行に充当される社2208号車と野田出張所管轄の運行路線図。
(バス停掲示簡易型)

運転時刻(野田市駅発)
東武時代の1999年(平成11年)で野田市発が8時17分、13時22分の2本。
茨城急行移管後の2002年1月(平成14年)で野田市駅発が9時25分、
13時15分の2本でした。

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さまざまな趣味あり
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東武バスが好きなむさい男であります。
過去の話が多くなるかも知れませんが、お許し下さい。
ハンドルネームは「東武指令」です。
特に意味はありませんが、よろしくお願いします。(笑)
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