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東武バス、千葉のバスに関する話題を中心に 管理人の別趣味のお話等を書かせて頂きます。
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・17型E、7E登場。
東武鉄道バス事業本部がそれまでの15型E(5E)のフルモデルチェンジである
17型E(7E)を初めて導入したのは平成元年導入の社番2018号車〜社番2054号車
までの37両が第一陣になりました。

東武バスでの7Eトップナンバーとなる社2018号車。
都内向け単区タイプの車です。
加須営業所幸手出張所にて

東武の車両選択は従来と変わらず、単区タイプと多区タイプの2本立てで増備
された。


近郊向け多区タイプの社2053号車。
西小泉駅前にて

P-LV314Lとして7E架装で登場したグループは平成元年車37両と
平成2年車40両の合計77両。
社番で見ると社2018号車〜社2112号車までとなり、内訳的には
単区車(前中扉車)が社2018号車〜社2024号車(平成元年車)と
社2073号車〜社2087号車(平成2年車)。
多区車(前後扉車)が社2025号車〜社2054号車(平成元年車)と
社2088号車〜社2112号車(平成2年式)となっている。
ちなみに同じ平成2年導入車である社2113号車はU-LV324Lの先行
導入車(もちろん7E架装車)であるため、上記内訳からは除外して
います。

・日野ブルーリボンにも架装されていた7E車体。

この平成2年度導入車には日野車にも7E車体を架装する車が
導入されました。

あまり状態の良い画像ではありませんが、日野+FHI 7Eの
P-HT235BA 社9202号車の画像。
エンジンルーバーが日野を主張している感じです。
草加営業所にて


末期に1台のみ沼南営業所に転属した社9198号車。
沼南営業所にて

日野の路線車へのFHI架装は東武バス内において珍しい存在
ではありませんでしたが、平成元年度に導入した路線車に
FHI車体を架装した車は発生しませんでした。
翌平成2年になり、社9198号車〜社9202号車の5両が導入され
草加営業所に配置されましたが、以降は日野車にFHIが架装される
事は無く、東武バスではこのグループのみで終わってしまっております。
(グループの茨城急行や阪東自動車にはU-HT2MMAAの7E架装車は
存在していました。)

余談ですが、沼南に1台のみ転属した社9189号車、いすゞの社2091号車、
社2098号車の計3台は東野交通に転籍して活躍していました。

東野に転籍した面々、左から9198、2091、2098の各車両。
黒磯駅、西那須野駅にて撮影。

上記のほかに他社売却車も現れた。


まさかのJRバス東北に転籍した元花畑の社2085号車。
座席のモケットにエンジのカバーが仕様されていた最後のグループ。
常磐線 浪江駅前にて


こちらも当時は話題になった朝日グループカラーを纏い
川越観光の特定用になり再登場した元足立の社2075号車。
川越観光自動車本社営業所にて


京福電鉄の大事故に伴い運休となった鉄道代行をこなす為に
冬が厳しい福井へ転籍した元行田の社2104号車。
この車、実は沼田、前橋に配属経緯がありまんざら雪と縁が
無いわけでは無いんですが(笑)
福井駅前にて


・U-LV324Lの登場。
前項でも触れましたが、平成2年車のLV314Lが打ち止めになり先行で1台の
U-規制車が登場します。


平成2年先行投入の社2113号車、U-LV324L。
新製配置は川越営業所東松山出張所でした。
加須営業所幸手出張所にて

翌、平成3年いすゞ路線車は社2128号車から増備が始まります。
社2128号車から社2138号車までが単区仕様車。
社2139号車から社2156号車までが多区仕様車。
合計29両が新製投入されました。


東京、西新井出張所で活躍した単区仕様車
社2129号車。
足立営業所西新井出張所にて


千葉、沼南営業所で活躍した多区仕様車。
社2150号車。
後期は埼玉の熊谷営業所へ転出、国際ハイヤー〜国際十王
交通に転籍して活躍した。
森林公園駅にて

この平成3年、平成4年車は東武バスでは激動の世代と言っても過言では
ない運命を辿る事になります。
北部地域撤退の際にグループ会社が肩代わり運行を行うため相当台数が
様々な会社へ転籍をして行きました。

次回へ続く

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東武バスを追いかけ始めてそろそろ25年近いキャリアになります。
正直自分でもびっくりですが・・・(笑)
東武鉄道に関係する仕事をしていたと言う事もありますが、
鉄道沿線には必ずオレンジ色のバスが止まってると言うイメージがあり
規模の大きな会社なんだと改めて実感したりしてました。
当時は、東武鉄道の直営バス会社として存在していた「東武鉄道バス事業本部」
東京、埼玉、千葉は勿論、群馬、栃木、茨城にもエリアを持っており
都市型の高頻度運行路線から、過疎地域でそれこそ1日1本運行
みたいな路線まで存在するバス会社としてそれぞれの地域に
密着して、生活の足として溶け込んでいました。
しかし、大手私鉄であるが為に鉄道収入で稼げる場合はそれでカバーできる
と言う国の判断から、地方の赤字路線は補助金も自治体協力もほぼ無い。
それでも、長年の利用者が少しでも居れば軽々しく廃止もできない。

路線を維持して、なおかつ補助金を受けたりできる環境を構築するには
バス部門を分社して、合理化を進めるしかない。
組合が大反対する中、東武鉄道はバス部門の分社化と採算見込みが立たない
エリア北部地域の撤退を始めたのでした。
埼玉県の熊谷営業所での車両整備風景。
いすゞのLVに加え森林公園出張所のブルーリボンも整備する。
今と違い整備士さんも東武鉄道の社員さん達が行っていた。

まさにそんな時に東武バスに興味を持ち、様々な地域にカメラ片手に
出かけ始めたのが東武バス趣味を始めたきっかけでした。
当時の主力車両はいすゞがP-LV314L、日野はP-HT235BA。

そして、いすゞではU-LV324L、日野はU-HT2MMAAが導入され勢力を
増やして旧型車を駆逐する真っ最中と言う感じでした。
東武バスの車両として一番の特徴はいすゞ、日野共に「富士重工製」
の車体を架装している車が多いと言う点が挙げられます。
日野車に関しては純正の日野車体が大半でしたが、いすゞに関しては
ほとんど富士重工製の車体を乗せていました。

富士重工 5E車体を架装するP-LV314L。
後期製造の車両は「黒サッシ」と呼ばれ、窓周りが引き締まった
印象があります。

やはり富士重工5E車体を架装するP-HT235BA。
日野指定の営業所には数台存在するケースが多かった印象です。

平成29年に入り続々引退を続け、ついに残り数台となった東武バスの7E型。
厳密に言えば、新7Eと呼ばれる最終型でコトKL-LV280L1改に於いては
東武向けのみ「タイプAノンステ」の架装を例外的に認めたと言う富士重工
との結びつきの強さを感じさせる経緯があった「銀サッシ」。
2003年3月に富士重工がバス車体製造から撤退して、最後に出てきた
銀サッシノンステグループも今年度内に姿を消すでしょう。

沼南に新製配置された銀サッシトップナンバーの社2558号車。
2003年から本格導入された「銀サッシ」だが、2558は先行的に
2002年下期に導入された車でした。

今回は個人的に一番馴染みの深い富士重工の7E、新7E型を語ってみたいと
思います。

〜次編へ続く。

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東武バスが好きなむさい男であります。
過去の話が多くなるかも知れませんが、お許し下さい。
ハンドルネームは「東武指令」です。
特に意味はありませんが、よろしくお願いします。(笑)
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